中世編

中国の歴史〜中世編

三国志時代が終わり、曹操の子が魏を建国しましたが、臣下に裏切られて晋へと国号が変わります。

続いて力を握ったのが隋と呼ばれる帝国です。この隋は西暦6世紀ころから力を持ち始め、日本と文化的交流を持つようになりました。
それが遣隋使と呼ばれる定期船です。小野妹子がこれを使って留学したことは非常に有名。

隋が7世紀初頭に滅びて唐に変わっても、遣唐使という形で日本との交流は続いていきます。
唐は、中国史上でも非常に栄えた帝国として知られています。当時の首都・長安は世界最大の都市となり、シルクロードを通して文化的な中心地にもなりました。

マルコ・ポーロが長安を訪れて「東方見聞録」を著したのもこの頃のことです。日本文化の中にも「唐揚げ」などの形でこの国の名前が残されていますね。

続いて宋が登場。
この国では科挙が施行され、身分が低くても勉学によって出世が可能になりました。下着にカンペを織り込むという苦肉の策から当時の猛勉強を偲ぶことができます。

ただ、残念ながら宋は文官登用には長けていたものの、武官に関しては素人が多く、戦争に弱い国でした。モンゴルの「碧き狼」チンギス・ハーンが台頭すると、あっという間に侵略されてしまいます。

このモンゴル帝国は、元寇の乱で日本にも攻めてきたのでよく日本人も知っていますね。短弓、火薬などを使用した近代的な戦術で日本を大混乱に陥れました。

ただ、モンゴル帝国は統治が苦手で、14世紀には明にその支配権を明け渡し、こうして中国の近代が始まるのです。